トートツにきた~写真整理

2018年03月11日

忘れない。忘れられない。

さて、今年も今日がやってきた。

ほぼ日で、その言葉を目にして あぁそうだなと思う。
今日は「震災の日」ではなく
たくさんの人にとって、大切な人が亡くなった命日なのだ、と。

熱は昨日だけだった坊ちゃん。
今日はすっかり元気をもてあましていて
これから木曜まで家に軟禁状態なんて ほんとーにユーウツだけれど

でも、健康で生きているということに感謝。

坊ちゃんと二人で、黙祷。

お弁当を持って友達の家に遊びにいっていたお嬢さんは
友達の家で 一緒に黙祷したよ、と言っていた。

あの日。
このブログにも何度も書いているけれど
地震と同時に停電になって、そんな中
靴を履いたまま、コートを着たまま、バッグを肩からかけたまま
布団で寝たことは忘れられない。
同じアパートの身重の友達も、一緒に過ごした。
余震がくるたびに 身構えた。
ガス、水道は通っていたから
あたたかいものを食べるにも、トイレにも困らなかったけれど
電源が入らないから、お湯はでなくてお風呂には入れず
もしまた、同じ大きさの地震がきたら
だんなは娘を、私は息子を、友達も娘ちゃんを 抱っこして逃げよう、と
靴をはいたまま、寝たのだ。
(部屋の中に割れたガラスが飛び散ったりして、掃除機をかけられず 手箒で掃いただけだったので
子供達もケガをしないように、靴をはいたまま部屋の中で過ごした)

4日後に今の家に引っ越すことが決まっていたから
部屋の中は荷造りのダンボールだらけ。

おかげで、軽くなった食器棚は 斜め前にガタンと動いたし
冷蔵庫もすごい位置に動いた。

二人は幼稚園で、園バスに乗る直前の地震だった。

信号もつかないし、大渋滞の中
子供達と会えたのは 地震のあと1時間すぎてからだった。

アパートの駐車場で、車の中で、エンジンをかけてテレビのニュースを見守った。

信じられない光景が広がっていた。
すぐに、ガソリンはとっておいたほうがいいと思って、エンジンを切った。

翌朝まで電気はつかなかった。

トートツに電気がついたその瞬間、あぁ、暖房がついていなかったというのに
寒さを感じる暇もなかったな、と思った。
屋根があって、部屋の中で一晩過ごせたということは
なんて幸せだったんだろうと思った。

やっぱり、3.11前と、3.11あとに 感情は分かれるなーと思う。

地震を知らずにこの世を去ったヨーダばあちゃん。
もしも、ヨーダばあちゃんが生きていたら
家にいても、入院していても 大変だったろうなと思う。

毎年いろいろなことを考える3.11。

インフルエンザのせいで仕事にいけないことくらいで
ため息をついていちゃ いかんなーと改めて思う。

東京よりも、東北に近い場所から。

m1k2jakmkkm at 17:06│Comments(0)

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
トートツにきた~写真整理